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Friday, March 27, 2020

2019年の坂本龍一が形となった珠玉のアート・ピース『Ryuichi Sakamoto 2019』 - GQ JAPAN

主役はアナログ・レコード

「これは、自分でも欲しくなる出来かな」

手元に届いた『Ryuichi Sakamoto 2019』の梱包を開封した坂本龍一の第一声だ。

ボックスを手に取り、中身のレコードとアイテムをひとつずつ取り出していく。ひとつひとつ手触りを確かめ、重さを確認し、角度を変えてじっと視る。

やっとできた。

前代未聞の限定200部のスペシャル・ボックス・セットが『Ryuichi Sakamoto 2019』。

このボックスの主役は、坂本龍一が音楽を手がけた映画6作の映画のサウンド・トラックのアナログ盤だ。どれも2019年に完成、公開された作品(一部例外も)である。

これらに加え、このボックス・セットのために作曲・録音された新曲「寡黙な午後」の7インチ・シングル、自筆の楽譜をもとにした木版画、韓国のアーティストによる肖像画、そして長年愛用している香とオリジナルの香立てが同梱されている。

そもそも、なぜアナログ・レコードなのか?

「情報だけでいいなら、音楽も配信やダウンロードのデジタル・データでいい」

聴くだけなら無料か安価にストリーミングで聴くことができる時代になっているいま、あえてフィジカルで音楽を世に出す意味を考えたという。フィジカル、つまり物理的なメディアで音楽を発表するという行為は、いま特別なことになりつつある。また、かつてのアナログ・レコードやカセット・テープ、いまのCDも大量生産、大量複製されることが前提のメディアだった。日本には再販制度もあり、どんなレコード、CDも基本的には同一価格。

12inch 重量盤レコードには2019年に教授が手掛けたサウンドトラック6作品が収録

200部ならではの意匠

「昔からレコードやCDは再販制度の対象で定価が決まっている。一律に一枚いくらになってます。いまは昔ほど厳しくはないとはいえ、それは変わっていない。たとえば制作費が500万円でも3000円、1億かけても同じ3000円。それってよく考えるとおかしいじゃないですか。ぼくは1980年代からそう思っていた。たとえばお金をかけて作る現代詩の限定版の本や美術書だったら高いものはすごく高い。でも、欲しい人はそれでも買う。レコードやCDも同様でいいはずだとずっと思っていたんです」

これまでも限定盤などの形で、そうした試みをしてはきていたが、それでもやはり制約はあった。限定盤ではあってもあくまで大量生産して全国のお店に流通させるという前提があったからだ。今回の『Ryuichi Sakamoto 2019』はちがう。

200部という本当に少数の限定品で、自身のレーベルの公式ストアでのみの販売。そして教授の言葉通り印刷と装丁にこだわった美術書や、版画、オリジナル・プリントの写真のようなアート・ピース(美術品)という意識でこのボックス・セットは作られている。もちろん、200部すべてに直筆のサインが付属する。

唐紙譜面には鉛筆で書かれた教授の直筆サインが入っている

「やっと念願がかなった。こうして手に取ると、想像していたより、モノとしての存在感がすばらしい。持ったときの重さや手触り、エンボス加工された部分の質感。印刷や紙も美しい。よくここまでできたと思いますよ」

教授がこう言うように、ボックスの意匠は本当に手がかかっている。200部という少数だからこそできた凝りようであり、かけることができた手間だ。大量生産品では無理だ。

「型押し」と言われる古典印刷技術で製作した唐紙譜面の手触りを確かめる教授

「箱は見ただけでは高級な和菓子が入っているようにも見えるかな(笑)。先週、京都に行ってきて、かみ添さんの店でこのボックスのもとになるオリジナルの作品を観せてもらいました。それがすばらしくて、この質感を印刷で再現できるんだろうかとちょっと不安にもなったんですが、いまこうして出来上がったボックスや中の封入物を見るとまったくの杞憂でした」

この『Ryuichi Sakamoto 2019』のトータルのアート・ワークは、京都の西陣にある“かみ添(かみそえ)”の嘉戸浩が担当した。かみ添は、多種多様な版木を用いて型押しの技法で文様などを転写した紙を販売している工房。

教授とかみ添との縁は、2017年に東京のワタリウム美術館で展覧会『設置音楽』の開催後、関係者への礼状にかみ添の紙を使用したことに始まる。同展覧会を一緒に行なったアーティスト高谷史郎、南琢也の紹介だった。

かみ添の嘉戸浩は1990年代半ばからの年期の入った教授ファンでもある。

漆黒かグレイか

「坂本さんのこれまでの音楽を思い起こしながら、なぜ自分に声がかかったのかを自問自答していくうち、デジタルな世界とはほど遠い世界で仕事をしている自分にしかできないことをやるべきだと思い至りました。それは、すごく尖ったものではなく、静かなもの。過剰な主張はしないけれど、世の中の決まり事からはちょっとズレているもの」

最初は漆黒の箱のイメージがあったという。

「坂本さんのコンサートをイメージして、ステージにピアノがある。光沢のある黒ではなく、マットな黒のピアノ。黒い唐紙にうっすらと文様が浮かんでいるというイメージ」

教授と何度か意見を交換するうちに、漆黒はグレイに変わっていった。

外箱には柾目(まさめ)文様を採用。音楽の時間の流れを年輪で表現している

「坂本さんからの要望だったんですけれど、いまこうして仕上がりを見るとグレイでよかったな、と」

嘉戸浩の紹介で、実際のデザイン・ワークを担当した“ smbetsmb(エスエムビー・アンド・エスエムビー)”の新保慶太と新保美沙子はこう語る。

「このパッケージには、音源を届けることだけではなく、音楽を“聴く”ことが込められていると思います。アナログ盤レコードという選択で、リスナーは否応無く“音楽に向き合う”ことになります。聴く側は場を整え、丁寧にボックスを開け、レコードを引き出し、針を落とす。上質な香は、かつては神への捧げものでもあり、清浄する効果を持っていると云われてきました。場を整え、香を焚き、空気に変化をつけ、音楽を聴く。愛用するお香はその場に相応しいと思います。ひとつの“聴く”環境自体をパッケージでお届けできるのではないかと想像しました。この“聴く”環境と時間に相応しいパッケージに整えていくことがデザインの方針でした」

データ、ファイルではなく物理メディアにしかできない、聴覚、触覚、嗅覚、視覚を穏やかに刺激するモノになった。

「リスナーが音楽を聴くまでの行為を想像しながら、個々のアイテムが関係性を正しく維持し、お互いを引き立て合うように留意しました。音楽が主役であることは言わずもがなですが、デザインの仕方によっては他のアイテムの方が強く主張してしまうこともありますし、弱すぎれば引き立て合いが生まれません。モノトーン、シンプルなタイポグラフィ、音楽性の多様性は、控え目でありながら強い存在感と自然が生み出す多様性を象徴する唐紙の原画に込めました。どれか一つ欠けても成立しない、どれか一つでも主張し始めたら成立しない、その境界を常に探しました」

“聴くという環境自体をデザインした”というこのボックスには、前述のようにレコード以外にも、いくつものモノが同梱されている。

ボックスを開けたときに、まずなによりも鼻が惹かれるのがお香だろう。

教授が長年愛用する松栄堂のお香セット

教授の香りを聴く

ここに収められている3種のお香は、京都で300年の歴史を持つ老舗“松栄堂”の名品。

教授は2000年代に入り、コンサートの楽屋や、ときにはステージでもお香を焚くようになった。本番前の緊張をやわらげ、精神を落ち着かせるため。自宅でも日常的にお香を焚いているそうだ。そんな教授が近年愛用しているのが松栄堂のもの。

「あるとき京都の旅館に泊まったら、すごくいい香りがする。これはどこのお香ですかと訊ねたら“松栄堂さんのどす”って(笑)。それで自分でも買い求めるようになりました。最初は通販で買っていたんですけど、ある年、ぼくがいちばん好きな“正覚”が通販での取り扱いがなくなっちゃった。そこで去年には京都のお店に自分で買いに行ったりもしました」

松栄堂では、何年か前から京都や東京にあるお店に坂本龍一ファンがやってきて、教授の使っているお香はなんですかと訊ねられることが少なからずあったそうだ。

「実は、坂本龍一さまが私たちのお香をお使いになられているというのはお客さまから教えていただきました。店を訪れたファンの方からどのお香ですか? と訊かれて、スタッフ一同、驚いていました。」(松栄堂専務・畑元章)

なので、どのお香を使っているかはもちろん、本当に教授が愛用しているのかもわからず、訪れたファンに対してどう答えたものか戸惑ってもいたそうだ。

「今回、正式にお使いいただいていることが分かり、もう一度驚いています。このコラボレーションを通して、私たちもお客さまにはっきりと坂本龍一さまにご愛用いたいだいていることを胸を張ってお伝えすることができます(笑)」

今回、『Ryuichi Sakamoto 2019』に収められたお香は、正覚(しょうかく)、南薫(なんくん)、王奢香(おうじゃこう)の3種類。

このうち、正覚、南薫が教授がとくに愛する2種で、王奢香は今回の企画のために松栄堂の多くのお香の中からあらためてセレクションしたもの。

それぞれの特徴を畑元章に紹介してもらった。

smbetsmbがデザインし、工芸作家の渡辺遼が製作したお香立

3種の特別な香り

正覚
「松栄堂でも特にこだわった商品です。原料に伽羅のみを使用していますが、伽羅は現在では非常に稀少で、正覚をこれからも長く作っていけるように製造数を調整しています。松栄堂の中でもトップ・オブ・トップというのでしょうか。」

南薫
「こちらは高品質な沈香をふんだんに使ったお線香です。正覚がとても深いコクのある香りである一方、こちらは沈香ならではの奥ゆかしさを強調した、自信のある香りに仕上げています」

王奢香
「このお香は白檀を主な原材料として、シンプルに白檀本来の香りを丁寧に引き出しました。ちょっとスパイシーで気が引き締まる、落ち着いて使える香りかと思います」

正覚は製造数が少なく、店頭にも常には置かれていない稀少で非常に高価なお香だ。南薫もそれに準ずる存在。教授も「正覚は、さすがに特別なときにしか焚けない。普段は南薫か、もう少しリーズナブルなもの」とのこと。

教授はコンサート本番前のリラックスのためにお香を焚いているが、松栄堂ではお香の効能は人それぞれだとしている。

「漢方薬の世界では沈香が体を温めたり、白檀は逆に冷ますというようなことが言われますが、私たちとしてお香での効果効能というものを具体的には謳わないようにしています。というのも、香りというものはとてもパーソナルなもので、同じ香りでもお客さまそれぞれにとって異なる印象があると思います。人によっては楽しい記憶を呼び覚ましたり、あるいは切ない思い出と結びついているかもしれません」

はたして、『Ryuichi Sakamoto 2019』の音楽とともに楽しむ3種のお香は聴く人にどのような感覚を呼び覚ましてくれるのだろうか。

「今回の香りをきっかけに、松栄堂の商品だけでなく、いろいろなお香の香りを楽しんでいただき、香りがある生活は楽しいということに気づいていただけたら幸いです」

教授イチ押しはお香立て

松栄堂の3種のお香を楽しむためのオリジナルの香立ても付属する。

smbetsmbがデザインし、金属を使った作品作りを続ける工芸作家の渡辺遼が製作を担当した。

「香立ては全体的なデザインの統一性を維持するために、新たに制作することにしました。シンプルな構造の香立てを思いついたとき、簡潔なフォルムと自然物を想起させる表情を金属に纏わせる金工作家 渡辺遼さんが頭に浮かびました。金属の断片のような潔いフォルム、そして金属でありながら触れてみたくなるような柔らかな表情を持った香立てが生まれました」(smbetsmb)

渡辺遼は1978年生まれの金工作家。奇しくも坂本龍一のデビューの年の生まれだ。教授の音楽や人となりについては「静けさと力強さが共生しているようなイメージ」を持っていたという渡辺遼は、今回のオリジナルの香立てについてこう語る。

「これまでも燭台や香立てを製作した事がありましたが、ここまでシンプルな物は初めてでした。必要最小限の形の中にわずかにテクスチャーを感じるデザインで、新保さんとお話しした時に感じた繊細な物の見方を思い出しました。製作するときには、そのデザインを形態化出来るようにただ静かに槌を重ねて行く事を心がけました。ひとつひとつ丁寧に仕事を重ねていく事の大切さをあらためて感じ、充実した時間となりました」

smbetsmb、渡辺遼の双方が語っているようにこの『Ryuichi Sakamoto 2019』のオリジナルの香立てはとてもシンプルなフォルムだ。装飾はなきにひとしい。

「ぼくが日常で使っているのも金属製のできるだけシンプルなもの。ただ、本当にシンプルな香立てっていうのが世の中にあまりなくて、市販のものは装飾が多い。そこで今回は本当にぎりぎりシンプルかつ、味のあるものができたらいいなと思っていました」

と、教授は語るがそれがかなった。ボックスを開封したときに、いちばん目が輝いたのはこの香立てを見た瞬間。

「そう、さっそく使いたい。今回のボックスで、自分としていちばん楽しみだったのが香立て。だって、レコードは自分で作った音楽だし、楽譜も自分のもの、絵も自分が描かれたものでしょ(笑)。香立てはこれから毎日使っていくと思います」

教授はこう言うが、ここに同梱された楽譜の木版画やドローイングは本当にすばらしいものだ。

まず楽譜。ボックスに入っている『PARADISE NEXT』のテーマ曲の楽譜だ。自筆の、訂正や書き込みも多い生々しい完成前の状態のものをかみ添が木版画に仕上げてくれた。

「まだ作曲中の自筆で、あちこちに訂正や加筆がぐしゃぐしゃと書き込まれている段階のもの。自分のための作曲のスケッチ。そういう生々しいところが日常感を醸し出しているなあ、と」

教授からのメッセージと、購入者しか聴くことのできない書き下ろし新曲のEP盤も収録

楽譜と直筆サイン

楽譜は白い唐紙に白い絵の具で刷られている。

「最初は坂本さんから譜面だということがわかりやすいようにコントラストを強調できないかと要請されたんですけど、これだけはぼくは譲らず(笑)、唐紙は陰影が大事なんです。陰影の中に文様が浮かび上がるのが重要なんですと抗いました。坂本さんも納得してくれて、いまこうしてできあがりを見ると思っていた以上によいものになったと思います」(嘉戸浩)

そしてこの楽譜の版画には教授の直筆サインが入っている。

「いまインタビューを受けているここで先週200枚分にサインをしました」

美しく印刷され、直筆サインが入ったこの楽譜のプリントは額装する人も多そうだ。

そして韓国人アーティスト、Ko Jiによるドローイングのプリント、Ko Jiは韓国の美大でデザインを勉強した後、ソウルでフリーランスのイラストレーターとして活躍。現在は鉛筆による精細なイラストを描きながらカフェも経営しているという。

「坂本教授は韓国でもとても有名な方で、以前から教授の音楽に接していました。とくに2018年に観たドキュメンタリー映画『CODA』にとてもインプレッションを受けて、もっと尊敬するようになりました。同じ年にソウルのPiknicで行われた坂本龍一展(『Ryuichi Sakamoto Exhibition: LIFE, LIFE』教授動静第5回  )に行った友人がそこでCDを買ってプレゼントしてくれたのですが、教授のすばらしい音楽を聴いたら絵を描かない理由がありません(笑)。数日間、その盤を聴きながら、坂本教授を初めて描きました。3枚の絵を描いた後、坂本教授にも見てほしいと思いインスタグラムにハッシュタグを付けて投稿しました。驚くことにハッシュタグのおかげで、4枚目の絵を投稿したときに教授が私の絵を見てくださったんです!」

ハッシュタグによってKo Jiの絵を見ることになった教授は、最初はそれが鉛筆によるドローイングだと信じられなかったという。それほど緻密で精細だった。

「ところが、インスタグラムには鉛筆で絵を描いていく過程も投稿されていて、それを観るととても緻密な技法で感心してたんです。今回、このボックスになにかアイテムを入れたいなと思ったときに、そうだ、Koさんの絵はどうだろうと。ソウルではなく地方在住でお洒落なカフェをやっているらしいのですが、今度韓国に行ったらぜひ訪問したいと思います」

教授のポートレートをもとに韓国の画家 KO JIMANが模写した細密画複製プリント

ここに入ったドローイングはフランスの写真家ピエール・エヴァンが撮影したポートレイトから制作された1枚。

「坂本教授から私の絵をボックスに入れたいというダイレクト・メッセージが来たときは信じられない思いでした。韓国語に“ソンドック”という言葉があります。これは憧れの人とコンタクトが取れた熱狂的ファンというような意味ですが、私はまさにソンドッグとなったのです。以来、私はこれまで以上に坂本教授の音楽を聴き、絵を描くことの意味と人生について深く考えるようになりました」

6作の映画サントラ作品

そして、最後にこの『Ryuichi Sakamoto 2019』の主役である音楽=レコードを紹介したい。

Disc-1『Black Mirror Smithereens(待つ男)』 
昨年世界配信されたネットフリックスの人気ドラマ・シリーズ『ブラック・ミラー シーズン5』の1エピソード。緊張感あふれるスリラー作品で、電子楽器による迫力のある曲も多い。海外では今春アナログ・レコードが発売される予定だが、日本では配信のみで、フィジカルはこのボックスだけで発売される。

「作品のタイプとしては、むかしぼくが手がけたもので言えば『スネーク・アイズ』のようなガン・アクションがあるサスペンス。ぼくがあまり手がけることが少ないタイプでしょ。銃が出てくる切迫感のあるシーンとか、あまりやっていないだけに新鮮で、そういう音楽を作るのは楽しかったです。こういう内容だからテクノっぽい曲もありますね」

Disc-2『PARADISE NEXT』
昨年日本で公開された半野喜弘監督の映画のサントラで、教授はテーマ音楽とそのヴァリエーションを担当した。他の収録曲には半野監督自身の作品や民族音楽などがあり、バラエティ豊かなサントラ・アルバムになっている。これまでは配信のみで発売されていた。

「最初にいまのぼくらしい作風のテーマ曲を提出したら、“もっとトラディショナルな映画音楽らしい曲を”と望まれてそれはボツになった。ちょっと不本意でしたが、監督の要求に応えたのがここに入っている曲。いま思うとボツになった曲もこのサントラに入れればよかったかな(笑)」

Disc-3『Kamejiro』
佐古忠彦監督の『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2018)と続編『米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019)のそれぞれのテーマ曲と変奏曲の計5トラックを収録。現在のところこの『Ryuichi Sakamoto 2019』のみでの発売となっている。

「作品から伝わってくる怒りに対して、音楽がそれをストレートに受けてしまうとつまらなくなる。2作目のほうがより顕著なのですが、怒りをストレートに表現するよりも理不尽さがじわりと伝わってくるほうが効果的だなと思って作ったテーマ曲です。いまの世にカメジローさんが生きててくれたらなと思いますが、その遺志は現在も沖縄に伝わっています」

Disc-4『The Staggering Girl』
欧米では限定公開されたルカ・グァダニーノ監督による短編映画のサントラ。短編なので収録曲も少なめだが、「DANCE」のように教授にとってひさしぶりのエレクトロニック・ダンス・ミュージックの作品も含まれた密度の濃い音楽作品になっている。海外では今春アナログ盤が発売されたが、日本では配信、CDの発売は未定。

「短編映画なので観る機会が限られるのだけど、すごくいい映画です。はっきりしたストーリー・ラインがあるようなないような物語で、起承転結もないけれど、すごく幻想的な映画で音楽もそれに合わせました」

Disc-5『Proxima』
昨年からヨーロッパで先行公開されているフランス映画(アリス・ウィノクール監督)のサウンド・トラック。『The Staggering Girl』同様に海外では今春アナログ盤が発売されたが、日本では配信、CDの発売は未定。

「女性宇宙飛行士のお母さんが娘と別れなきゃいけなくて、関係がぎくしゃくしていくストーリー。監督の実体験も反映されているそうで、そうした母娘の関係を表現するのに合唱を音楽に導入しました。本当は全編、楽器を使わずにすべて合唱だけで音楽を作ろうというアイデアもあったぐらいです」

Disc-6.1,6.2『さよなら、ティラノ』
日本では今年7月に公開予定の静野孔文監督のアニメーション作品のサントラ。曲数が多いため2枚組の構成になった。アニメ映画は実写映画とちがい、音楽制作の段階ではまだ映像が完成しておらず、線のみが描かれた映像と曲本からどういうシーンでどういう音楽になるかを想像しながら作るので大変だったとのこと。これまで韓国ではサントラCDがリリース済みだが、日本ではこのアナログの他は配信のみでの発売になる予定。

「就学前の子どもでも楽しめるアニメーション映画なので、明るい曲やリズミカルな曲が多い。これはぼくとしては珍しい。作品で登場するいろんな恐竜のキャラクターの音楽をそれぞれ作っていますが、『蜜蜂と遠雷』の映画音楽でも知られる篠田大介くんという藝大の後輩にも手伝ってもらいました。なので、ものすごくたくさんの音楽を作り、その中から厳選してここの35曲2枚組というヴォリュームになっています」

ここに収められた6作の映画サントラ作品は、どの映画も見事にジャンル、作風がちがう作品。教授の音楽もそれにともなって、さまざまなタイプのものになっている。シンプルなピアノ曲もあれば、オーケストラ作品もある。トラディショナルな映画音楽的なものがあればテクノな作品がある。合唱を生かした曲もある。静かで重厚なもの、明るく躍動感があるもの、どれも坂本龍一の音楽という核はありがながらも、多面的で、言ってみればバラバラ。

「ふだんからいかにバラバラな仕事をしているか(笑)。そういう意味ではすごくぼくらしい。まさにぼくの特徴ですね」

オリジナル・アルバムであってもこれまで1枚ごとに大きく作風を変えてきた教授らしい言葉だ。

200人のための新曲

そしてこのボックスには購入者への特別なプレゼントも入っている。

本企画のために書き下ろされた新曲「寡黙な午後」をA面に収録した1サイド・7インチ・シングルが付属しているのだ。

「ぼくのニューヨークの自宅での日常を切り取ったようなイメージの曲です。毎日、締めきりに追われる中で、午後になると、そうだあの曲を作らなきゃとピアノに向かう。黙ってピアノに向かって、ちょっとずつ曲が書かれていく。そういう日常の時間を切り取ったような雰囲気を曲にしている。ぼくにとってはピアノに向かうというのがいちばん日常的なことなので、自然とピアノ曲になりました」

この「寡黙な午後」を聴けるのは、200人のボックス購入者とその近しい人のみとなる。とてもプライベートな音楽の贈り物とも言えるだろう。

これらのレコードは、モノトーンでミニマルなボックス・セットの雰囲気によりマッチする真っ白なホワイト・ヴィニール仕様となっている。

『Ryuichi Sakamoto 2019』は、価格が税抜きで10万円という高額なセットであるため購入に二の足を踏んでいる方も当然、多いだろう。

だが、21世紀以降の坂本龍一はこれまで数々のサウンド・インスタレーション、メディア・アートの作品を発表してきた。これはその一環だ。

今回、できあがった『Ryuichi Sakamoto 2019』の実物を見て、触れて、音を聴き、お香の香りを嗅いだとき、これは単なるレコードのボックス・セットではなく、視覚、聴覚、嗅覚、触覚を総合的に刺激するメディア・アートの作品だということがわかった。これまでの『LIFE - fluid, invisible, inaudible...』『water state 1(水の様態1)』などのような巨大で大掛かりなメディア・アート作品は手元に置くことは不可能だが、この『Ryuichi Sakamoto 2019』ならばできる。

この取材で実物に接し、隅々を眺め、手触りを確かめ、楽譜やドローイングを凝視し、もちろん音楽を聴いて、これが自分の手元にある日常を想像してみた。

そして、ぼくは200人のうちのひとりの購入者になった。

世界中にあと199人いる同好の方々、ちょっと贅沢なひとときをこの『Ryuichi Sakamoto 2019 』とともに過ごしてみましょう。

(2020年2月17日取材) ※文中敬称略

文・吉村栄一 撮影・中村祥一

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