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Monday, June 22, 2020

バットの形はどうやって決まった? 当初は角材などからスタートしたバットの歴史(Full-Count) - Yahoo!ニュース

当初、バットの規定はなく金属の棒、クリケットのバットなどを使用する選手も

 ボールを木などの棒で打つ遊びの歴史は古い。古代エジプトの遺跡にもそうした競技の絵が残されている。この遊びは、のちにポロやクリケットなどのスポーツにつながっていく。野球ももちろん、その流れをくむスポーツだ。 【写真】あなたの目にはどちらに見える?…米国で右腕にも左腕にも見える投手の壁画が話題に  野球は19世紀半ばにアメリカで始まったとされる。その当時からバットは使用されていたが、そのころはバットの規定はなかった。そのために平たくて先端が曲がったクリケットのバットを使用する選手もいた。また金属の棒や、長い竿状のバットを使用する選手もいた。  バットのサイズが初めて規制されたのは1863年のことだ。バットの太さが決められた。しかし、この時点ではバットの断面は円形でなくても良かったので、角材のようなバットを使用する選手もいた。その当時でも断面が円形のバットを使用する選手が多かったが、正式にバットの断面が円形と決められたのは、1893年になってからだ。

MLB通算打率.366タイ・カッブ型のグリップは日本にも浸透

 歴代の大打者は、自分の打撃スタイルに合わせたバットを使用してきた。  MLB史上1位の通算打率.367を誇るタイ・カッブは、グリップの部分がなだらかに太くなった形状のバットを使用した。グリップエンドを重くすることで、バットスイングをコンパクトに速くするためだ。「50センチ先に転がしたヒットと、50メートル先に飛ばしたヒット。この両方が同じヒット一本として扱われることは、野球のルールの最も素晴らしい部分である」という名言を残したカッブならではのバットだ。  タイ・カッブ型のバットは、日本でも広く使用された。日本ではタイ・カッブ型のグリップに加え、太いヘッドの「すりこぎバット」が考案され、福本豊、若松勉、正田耕三など「安打製造機」タイプの選手が多く使用した。「すりこぎバット」は、ヘッドが振り抜きやすく、シャープな打球を打つことができた。  反対に、ベーブ・ルースは、グリップエンドが細いバットを使用した。ルースのバットは重心が先の方にあり、強く振りぬくのに適した形状をしていた。ただ、重さは1キロもあり、現在の打者が使用するバット(930グラム前後)よりも相当重い。188センチ98キロと、当時のメジャーリーガーとしては抜群の大型だったルースは、パワーも抜群だったのだ。 「物干しざお」といわれた長大なバットを振り回したのが、初代ミスター・タイガースと呼ばれた藤村富美男(阪神)だ。終戦後「川上(哲治)の赤バット、大下(弘)の青バット」が、子どもたちの人気になったのを見て、藤村もバットでアピールしようと考えた。そこで、バットメーカーにこれまでだれも使わないような長いバットをオーダーし、「物干し竿」と称して使い始めた。2014年、野球殿堂博物館が「名選手のバット展」を開催した際に、藤村のバットは他の名選手のバットとともに、展示された。

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