あるときから「心が折れる」という表現をよく耳にするようになった。目標に向かって頑張っていたのに、障害にぶつかって意欲がなくなったり、諦めたりすることを指しているようだ。 ■「心の形」とは? この言葉を初めて聞いたときに、私は素直に「えっ、心って棒状だったんだ?」と思ったのを覚えている。一般的に「心」と言われて思い浮かぶのは“ハートマーク”で、それは平面か、あるいは少し膨らんだ立体の状態で描かれるのが普通だ。だから、「心が割れた」なら平面だろうし、「心が砕けた」なら立体なのかなと思うが、「心が折れた」となると、実は心は棒状だったということになる。しかし、実際のところ、心というのはどういう形をしているのだろう。
心にまつわる表現の中には、「心がへこむ」という表現もある。棒状でかつ、へこむ。ということは、パイプ状の形をしているのだろう。中は空洞なのだろうか。「心を開く」「心にふたをする」という表現もあるから、中に何かを入れられて、閉じ込められる形状をしているのかもしれない。筒状の容れ物ということだろうか。 ほかにも「心がはずむ」という表現もある。はずむということは、ゴムのようなものでできているのだろうか。言われてみるといつまでも心がへこんだままの人はあまりいないので、よほどゴムが劣化しない限りは元に戻るのだろう。前述の「心が折れる」というのも、もしかしたら過度なストレスによってゴム状の素材がカチカチに劣化した先で起こる現象なのかもしれない。「心がはずむ」以外にも、「心が揺れ動く」なんて表現もあるから、やっぱり心は元々は柔らかくて弾力のある素材に違いない。
そういえば「心をわしづかみにされる」なんて表現もある。なるほど。筒の直径は手で握れるくらいなのだろう。誰の手のサイズを基準にするかで違ってくるが、成人男性の平均的な大きさから考えても、せいぜい直径10㎝以下くらいだろうか。 ほかにも、「心が晴れる」という表現もある。晴れるということは、心は基本的には透明な素材でできているのだろう。普段はきれいに透きとおっているのだが、何かのきっかけで曇ったり濁ったりすることがあるのだろう。よし、だんだんわかってきた。心は“ゴムのようなものでできた直径10㎝以下の透明な筒状の容れ物”なのだ。
からの記事と詳細 ( 「心が折れる」という人と考えてみたい“心の形”(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース )
https://ift.tt/38APLeN
No comments:
Post a Comment