<記者が今、思うこと>
開催か、中止か、再延期か。報道各社の世論調査で東京オリンピック(五輪)・パラリンピックへの風当たりが強くなっている。コロナの感染者が増え、緊急事態宣言が発令されたのだから当然。ただ、一喜一憂のムードを開催可否判断の材料にしてほしくない。さらにそれを政治利用することなど、あってはならない。
15年夏がフラッシュバックする。新国立競技場の白紙撤回。文部科学省の対応が遅れ、2520億円に高騰した整備費に批判が殺到。安倍政権は安保法制で急落していた支持率を回復しようと新国立の従来案を白紙に戻した。
結果、総工費1569億円で建設されたが完成から1年余り、各界から「中途半端だ」と不満の声が漏れる。屋根がなく天候や騒音問題で収入の柱として期待されているコンサートも頻繁には開けない。客席の冷房設備も見送られ暑さにも弱いスタジアムになった。
今年3月、東日本大震災から丸10年が経過する。当時あらゆる事柄が自粛ムードになり被災地には支援物資が届いた。仙台の支局に勤務していた記者は市内のある店舗が震災数日後に食料品売り場を営業再開した場面に立ち会う。経験値が低かった記者は店舗の経営層に「なぜ無償支援ではなく通常価格で売るのか」と聞いた。
「日常生活を取り戻すことが大切。日常とは経済の循環。無償も大事ですが、それだけだと一方通行になってしまう」。同社は別途、津波被害が甚大だった沿岸部には無償で支援物資を送っていた。どちらも共助だがバランスを持って対応していた。
昨年11月、体操の内村航平は日本人選手としては珍しく、強い口調で五輪開催を訴えた。「できないじゃなく、どうやったらできるかを考えて。何とかできるやり方は必ずある」。
開催か中止かの「0か1」ではなく、感染拡大防止と日常回復の両輪を、バランス良く稼働させることが必要ではないか。中止になってから数年後、後悔しても五輪は戻らない。そのためにも「フルスタジアム」の視点ばかりでなく無観客や外国人観客の入国見送りなど、より厳しい対策を国民に見える形で早期に議論してほしい。
新国立のように関係者だけでため込んだり、政争の具にしては世論が納得できるはずがない。どのような形でも開催できれば、アスリートは競技を通じて社会に恩返しする準備を整えている。【五輪担当 三須一紀】
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