〜〜国鉄形電車の世界その11 特急形電車+特急形気動車〜〜
日本国有鉄道が分割民営化されJRグループとなって、すでに34年という歳月がたった。当時開発された国鉄形車両も、それだけの年数を走り続けてきた。
本サイトでは、残る国鉄形電車の全形式を網羅してきたが、最後に、国鉄時代に生まれた特急形電車と特急形気動車を見ていこう。この春、大所帯を誇った185系の定期運用がなくなり、残るのはごく少数の形式と車両のみになりつつある。“最晩年”を迎えつつある車両たちの現状に迫った。
【はじめに】列島のすみずみまで走った国鉄特急形電車だが
JR発足当時はもちろん、2000年代中ごろまで国鉄形特急は、主力車両として全国の路線を走り続けてきた。ところが2010年代に入って、急激に車両数を減らしていく。
そして今も残る国鉄生まれの特急形電車はとうとう3形式のみとなった。わずか3形式、しかも細々という状態だ。まずは、その概要を見ておこう。
残るのは特急形直流電車の185系と381系、特急形交直流電車の485系の3形式である。このうち定期運用が行われているのは381系のみだ。この381系ですら、すでに多くの車両が特急列車の運用を外れ、今や定期運用されているのは特急「やくも」1列車となった。
◆残る185系と485系は団体臨時列車の運用がメインに
特急形直流電車のもう1形式、185系はご存じのように3月12日で定期運用を終えた。残る車両は臨時列車のみでの運用となる。また485系はオリジナルな姿を残した車両はない。大きく改造されたジョイフルトレインのみが残っている。
この状態を見ると、まさに終焉近しという印象が強くなる。さらに唯一の定期運用で使われる381系も、近々、後継車両との入換えも始まる予定だとされている。
そんな残る3形式がどのような車両だったのか、残り少なくなった車両の現状を見ていこう。今回は加えて特急形気動車も触れていきたい。こちらも残る形式はわずかで貴重になりつつある。
【①残る国鉄形381系】日本初の振子式車両として1973年に誕生
今や、唯一の定期運用が残る国鉄形特急電車の381系。まずはその特徴と歴史に関して触れておこう。
◆車両の特徴:カーブを高速で走り抜けるために取り入れた自然振子装置
日本の路線、特に山間部の路線はカーブ区間が多く、列車の高速化にあたり障害となっていた。カーブを少しでも早く走り抜けるために、車体をかたむけて走らせようと生み出されシステムが振子装置だった。
振子装置を組み込んだ新車両の誕生にあたって、国鉄では、591系という試験電車まで作ってテストを重ねた。そして1973(昭和48)年に誕生させた電車が381系だった。381系は、まず名古屋〜長野間を走る特急「しなの」に投入、1978(昭和53)年には京阪神と紀伊半島を結ぶ「くろしお」に、1982(昭和57)年に岡山駅と山陰、出雲市駅を結ぶ特急「やくも」に投入された。
381系は従来の特急形電車とはやや異なる姿をしている。車体にはアルミニウムを採用、運転台は従来の特急と同じ高運転台のスタイルながら、車体の重心を下げる構造とした。さらに振子装置を導入したこともあり、開発費、また製造費用も高額となっている。さらに地上の架線などの張り方なども、振子装置を備えた車両に合わせ改良しなければいけなかった。そうしたものまで含めると、この車両を導入するために多額の費用がかかっており、当時、財政難に陥っていた国鉄としては、異例の“厚遇車両”だったとことが分かる。381系は1982(昭和57)年まで277両が製造された。
381系が備えた振子装置は自然振子装置と呼ばれる。この装置により、カーブでは意図的に、車体を傾けて走る。この装置のおかげで既存のカーブ通過速度を20km上回り走り抜けることができたとされる。
しかし、到達時間は早くなったものの、不自然な曲がり方と揺れが生じてしまい、酔う人を多く出した。この酔いに対しての課題もあり、その後に導入された振子装置は、制御付き自然振子式、もしくは空気ばねにより、車体を傾斜してカーブを走る方式を採用する車両が多くなっている。
381系は、日本初の振子装置付きという画期的な車両にもかかわらず、酔いを覚える人が多く現れたこともあり、決して人気車両とは言えなかった。ちょっと残念なところでもあった。
◆残りの車両: 後藤総合車両所出雲支社に62両が残る
381系はJR東海とJR西日本に引き継がれた。そのうち、JR東海では後継の383系の導入により、引退が早く進み、2008(平成20)年には全車が引退している。
一方、JR西日本の残った381系は長年、特急「くろしお」や、北近畿を走る特急「こうのとり」「はしだて」「きのさき」に使われた。この北近畿を走る特急は晩年、クリーム色と赤の国鉄色に塗られ、注目された。残念ながら2015年に「くろしお」と共に北近畿ネットワークを走る特急列車での運用が消滅し、大半の車両が引退となっている。
残るのは後藤総合車両所出雲支所に配置された62両のみとなっている(2020年4月1日現在)。この車両も、JR西日本では「約60両を新製車両に置換計画あり(投入予定時期2022〜2023年)」としており、この1〜2年で状況は大きく変わりそうである。
◆車両の現状:高運転台の先頭車の他にパノラマグリーン車も走る
残る381系の車両の現状を見ておこう。特急「やくも」は岡山駅と島根県の出雲市駅間を走る。伯備線を通り山陽地方と山陰地方を結ぶ通称、陰陽連絡特急として重要な役割をしている。1日に15往復走るその全列車に381系が使われている。1973年から1982年まで製造された381系。特急「やくも」の381系は、大半が後期に造られた車両が使われている。とはいえ、すでに40年という歳月がたつ。この間に車内の更新が行われ、座席や内装などが新しくされていて古さを感じさせない。
残る381系62両の車両形式はクモハ381形、モハ381形、クロ381形など7形式。そのうち珍しいのがクロ380形だ。
クロ380形は、特急名がスーパーやくもと呼ばれていた時代に、中間車のサロ381形から改造された形式だ。他の先頭車のように高運転台ではなく、座席から前面展望が楽しめるような構造で、先頭部が傾斜した姿となっている。現在、クロ380-6と、クロ380-7の2両が使われている。ちなみに春のダイヤ改正以降は、岡山発→出雲市行の「やくも」3号、13号、17号、27号と、出雲市発→岡山行の「やくも」2号、12号、16号、26号に、このパノラマグリーン車が連結されている。
クロ380形は希少車ということで気になる存在である。ちなみに先頭車は出雲市駅側に連結されている。
【②残る国鉄形185系】今後はわずかな臨時列車に使われるのみに
◆車両の現状:大宮総合車両センターに配置されていた137両の運命は?
この春に大きな動きがあった185系。簡単に185系の特徴を見ておこう。
185系は1981(昭和56)年3月26日に運転が開始された。従来の特急形電車とは異なり、首都圏を走る特急列車や急行列車、そして通勤通学客の輸送も可能な電車として開発された。汎用性の高い電車であり、最盛期には227両と大所帯を誇った。「踊り子」「草津」「あかぎ」といった在来線特急のほか、快速まで含めた臨時列車、またJR東海までの路線まで乗り入れ可能なことから、「ムーンライトながら」などの長距離列車に利用された。
40年にわたり走ってきた185系だったが、特急「踊り子」や「湘南ライナー」などでの運用を2021年3月12日で終えている。最盛期には多くの列車に使われ、ごく最近までそう人気があるとはいえない存在だったが、引退が近づくにつれて人気が高まり、注目度も高まった。
185系は2020年4月1日には大宮総合車両センターに137両が配置されていた。まだ2021年の残存数は発表されていないが、発表されるにしても車両数もあくまで暫定的なもので、2022年には全車が引退することが明らかになっている。
◆運用の傾向: 6月20日まで185系臨時列車の予定はあるものの…
3月で定期運用が消滅した185系。すでに廃車のため長野総合車両センターへ回送される姿も確認され始めた。今後、こうした引退する車両が少しずつ増えることになりそうだ。
一方で、臨時運転用に一定の車両数も残存することになる。現在の春の臨時列車として走る予定なのが、上野駅〜桐生駅と大船駅〜桐生駅間を走る「あしかが大藤まつり1〜4号」で、4月24日〜5月5日までの土日祝日・GW期間中の運行の予定がある。さらに「鎌倉あじさい号」として青梅駅〜鎌倉駅間を6月5日〜20日の週末に走ることになっている。発表されているのは、この列車のみ。これだけならば、6両×2編成を残せば十分にまかなえるであろう。とすれば120両以上が余剰となる計算になる。
さらにコロナ禍ということもあり、臨時列車も運休の可能性がある。臨時列車とともに団体専用列車の運行も少なくなる可能性がある。鉄道ファンにとってはちょっと寂しい状況となりそうだ。
【③残る国鉄形485系】全国を走った485系も3編成のみに
◆1000両以上の大所帯も今は16両のみに
485系は国鉄時代の1964(昭和39)年に生まれた交流直流両用の特急形電車である。直流および交流60Hzに対応した481系、直流と交流50Hzに対応した483系、さらに直流と交流50Hzと60Hzに対応した485系。横川〜軽井沢駅間でEF63形電気機関車と協調運転を行うために生まれた489系を含め1979(昭和54)年まで製造が続き、計1453両という大勢力を誇った。
電化方式を問わず走ることができた機能を活かし、全国で活躍した電車でもあったが、すでに定期運用は消滅している。またオリジナルな姿を残した485系も消え、今やジョイフルトレインとして改良された3編成16両のみが残る。
ジョイフルトレインとは、JR東日本が観光需要の高まりとともに、複数の既存車両を改造して臨時列車や、団体専用列車用に生み出した観光用列車だ。特に485系の場合には、電化区間であればどこでも走れることが活かされ、11のジョイフルトレインが生み出された。残念ながらその多くが引退となり、残るは3列車となっている。それぞれの現状を見ておこう。
◆ジョイフルトレイン「リゾートやまどり」
まずは「リゾートやまどり」。2011年に運行を開始した列車で、高崎車両センターに配置されている。これまでは群馬県の観光キャンペーンなどに関連する臨時列車として活用されることが多かった。今年の運用はやや異なってきている。4月以降の予定を見ると——。
「あしかが大藤まつり5・6号」として、いわき駅〜桐生駅間を5月1日〜4日に走る。さらに「やまどり青梅奥多摩号」になり三鷹駅〜奥多摩駅間を5月8日〜9日に走る。また、5月15日・16日は新習志野駅〜黒磯駅間を、5月29日・30日は「リゾート那須野満喫号」として走る。さらに、6月6日、12日、20日に大宮駅→越後湯沢駅を「谷川岳もぐら」、越後湯沢駅→大宮駅を「谷川岳ループ」として走る。
◆ジョイフルトレイン「華(はな)」
「華(はな)」は「リゾートやまどり」と同じ高崎車両センターに配置されている。485系を元に1997年に改造された6両編成で、車体は紫色ベースにピンクの帯が入る。掘りごたつ形式のお座敷車両で、主に首都圏を走り続けてきた。
この春の臨時列車としては「お座敷 青梅奥多摩号」として、5月3日〜5日に川崎駅〜奥多摩駅間を、5月15日・16日には三鷹駅〜奥多摩駅間を走る予定だ。
◆ジョイフルトレイン「ジパング」
「ジパング」は岩手県の観光キャンペーンに合わせ2012(平成24)年に生まれた。岩手県の観光用に改造されたこともあり、盛岡車両センターに4両が配置されている。この春には4月29日・30日に「ジパング北上展勝地桜号」として一ノ関駅〜盛岡駅間を2往復する。また「ジパング平泉号」として盛岡駅〜一ノ関間を5月1日〜5日、6月26日・27日に2往復走る予定となっている。
とはいえ、4月に走る予定だった「ジパングさくら☆もち号」がコロナ禍のために運行休止になったこともあり、今後の運行は変更される可能性も出てきている。
JR東日本にのみに残る485系だが、今後どうなるかが、未知数となりつつある。これまでJR東日本の車両紹介のページでは、「のってたのしい列車」として観光列車の紹介コーナーが設けられていた。ジョイフルトレインも多く掲載されていた。ところが最新のページでは、485系のジョイフルトレインの掲載がなくなっている。
こうした現状を見ると、列車の本数も含め徐々に減っていくことになりそうだ。ここ数年で485系ジョイフルトレインが消えていく可能性もでてきている。
【④残るキハ183系気動車】スラントノーズ世代は消えたものの……
ここからは、電車ではないが、国鉄時代に生まれた特急形気動車に関して触れておこう。国鉄時代、非電化区間用の特急形気動車は、1960(昭和35)年のキハ80系(キハ81系とキハ82系を指す)の開発により、本格的に始まった。その後にキハ181系が誕生し、非力さなどが解消されていった。キハ181系は、その後の特急形気動車開発にもその技術が活かされている。
キハ181系の後に、北海道用に造られたのがキハ183系で、四国地区用に造られたのがキハ185系。ここまでが国鉄形の特急形気動車とされている。
◆残るキハ183系は石北本線の特急として活躍
既存のキハ181系の耐寒耐雪機能を高めたのがキハ183系である。当初、1979(昭和54)年に試作車が造られた。実際の運用にも使われた試作900番台で、その後の1981(昭和56)年からは基本番台が製造された。この試作900番台と基本番台の特徴は、高運転台とともに、スラント型(スラントノーズ)と呼ばれる独特な姿をした正面で、北海道を代表する特急形気動車として長年、親しまれた。同基本番台は2018年6月いっぱいで引退となっている。
今も残るのは500番台・1500番台と550番台・1550番台で、スラントノーズの正面とは異なり平坦な形をしている。製造は500番台・1500番台が1986(昭和61)年、550番台・1550番台は1988(昭和63)年から1991(平成3)年までと、ちょうどJRに分割民営化した時代をまたいで製造された。
◆その後の車両造りにも活かされた高床式キロ182形の技術
キハ183系の配置は苗穂運転所で2020年4月1日現在、55両だ。このなかの5両は改造された観光列車「ノースレインボーエクスプレス」で、また1両は出動することがほとんどないお座敷車ということもあり、実質49両のみと言うことができそうだ。
キハ183系で運用される列車は、札幌駅〜網走駅間を走る特急「オホーツク」と、旭川駅〜網走駅間を走る特急「大雪」。後者の「大雪」は現在、曜日限定となっている。毎日走るのは「オホーツク」2往復のみと、希少な存在になりつつある。列車には高床式のキロ182形グリーン車が連結される。この車両はハイデッカー仕様の創始期に生み出した車両だ。
余談ながら、大阪と札幌を結んだ寝台特急「トワイライトエクスプレス」の高床式のサロン車(サロン・デュ・ノール)の改造にあたっても、このキロ182形の思想や技術が活かされている。
ちなみにJR九州ではキハ183系1000番台を所有している。特急「あそぼーい!」として走っている車両だ。こちらはキハ183系の基本構造を元に設計されたため同形式とされている。とはいえ展望席などを設けた姿など車両構造も大きく異なっている。JR北海道に残るキハ183系と同じ形式名ながら、異なるJR生まれの車両として扱われることが多い。
【⑤残るキハ185系気動車】JR四国とJR九州で今も活躍
国鉄が生み出した特急形気動車の最後の形式がキハ185系だ。経営基盤の弱い四国地区用に生み出された車両で、国鉄最晩年の1986(昭和61)年11月から走り始めている。
◆定期運用では特急「剣山」「むろと」が残るのみだが
キハ185系は計52両が国鉄当時からJR化の後まで製造された。その後、JR四国では2000系などの高性能な特急形気動車を導入したこともあり、余剰となった20両がJR九州へ譲られた。JR四国では幹線の運行では2000系や、近年に登場した2600系や、2700系が使われている。一方で、キハ185系は徳島駅〜阿波池田駅間を走る特急「剣山(つるぎさん)」や、徳島駅〜牟岐駅(むぎえき)間を走る特急「むろと」に使い続けている。
いずれも閑散路線で、また100kmに満たない短距離区間ということもあり、新しい高性能車両を導入しにくい実情が見えてくるようだ。
JR四国のキハ185系は高松運転所に22両が配置されている(2020年4月1日現在)。うち3両が観光列車「四国まんなか千年ものがたり」。またキハ185系の中には「アイランドエクスプレス四国Ⅱ」やトロッコ列車牽引用の改造された車両も多く、既存の姿を残すキハ185系は15両に過ぎない。
すでに後継の2000系に引退車両が出てきている。国鉄時代に生まれた車両が後継車両よりも長生きしている不思議な存在ともなっている。
◆譲渡されたJR九州では全車両が今も活躍中
JR四国では新型車両の導入で余剰となったキハ185系20両が、1992(平成4)年にJR九州に譲渡された。
譲渡されたJR九州では、旧形の急行形キハ58系改造車両などで運用していた「由布」を特急「ゆふ」に格上げし、すぐに利用を始めた。さらに「九州横断特急」などの列車での運用にも使われた。JR九州ではその後に斬新な赤一色の姿に変更させるなど、“変身”させて、イメージアップを図っている。
現在は大分車両センターに18両、熊本車両センターに2両が配置されている。JR四国から譲渡された車両すべてが活かされているわけだ。ちなみに熊本車両センターの2両は特急「A列車で行こう」として改造を受けている。いわばJR九州らしい色付けが行われている。
こうした傾向を見ると、国鉄時代に生まれた特急形気動車のうち北海道用に生まれたキハ183系は、今後あやうい立場になりつつあるが、四国と九州に残るキハ185系は、まだまだ一線で活躍しそうである。国鉄形特急車両のうち、最後まで残るのはこのキハ185系なのかも知れない。
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