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Sunday, June 27, 2021

差別、貧困の連鎖…韓国のハンセン病問題「現在進行形」 - 西日本新聞

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【塀のない隔離 韓国ハンセン病政策の影】訴訟代理人・朴永立弁護士に聞く

 日本政府のハンセン病強制隔離政策の違憲性を認めた2001年5月の熊本地裁判決から20年。当初、旧植民地の療養所は補償の対象外とされたが、その後、救済の道が開かれ、今年4月には韓国の元患者家族62人が厚生労働省に130万~180万円の補償を請求した。韓国で関連訴訟の原告代理人を務めた朴永立(パク・ヨンリプ)弁護士は救済拡大を評価する一方、依然として韓国の元患者や家族が差別を受ける厳しい実態を語った。 (聞き手はソウル池田郷)

「ハンセン病に対する差別意識は元患者の子どもたちの世代にも向けられており、現在進行形の社会問題だ」と語る朴永立弁護士

政策転換が生んだ新たな隔離

 -19年11月に成立した元患者家族に対する補償法に基づき、戦前の日本統治下で過ごした韓国の元患者家族が日本政府に補償を申請した。

 「韓国ではかつて家族がハンセン病を発病すると、周囲からの差別を避けるため、患者が死んだことにして死亡届を出したり、患者の子どもを孤児扱いにして新たに戸籍を作ったりした。元患者の家族だと証明することが難しく、請求のネックとなっていたが、日本側の弁護士らがそうした事情を厚労省に説明し請求にこぎ着けられた。日韓の司法関係者の協力が実った」

 -韓国政府は1963年、日本に先駆けて隔離政策を転換した。

 「家族離散などの悲惨な状況は随分と解消されたが、元患者や家族は完全な自由を手に入れたわけではなかった。当時の政府方針により、各地の辺境に元患者や家族を集約し、畜産や農業に従事させて自活を促した『定着村』事業は、結果的に元患者や家族を新たな隔離状態に置き、社会に復帰する機会を奪うことになった。南西部・全羅南道の国立小鹿島病院では、80年代まで強制的な断種手術が施されるなど多くの禍根を残している」

 -当時の朴正熙(パク・チョンヒ)政権はなぜ、定着村事業を進めたのか。

 「日本の植民地支配から解放されて以降の混乱期、強制隔離施設から逃走した患者が中山間地などに集落を形成したのが定着村のルーツだ。当時はこうした患者らを地域社会が受け入れる余地はなく、政府としては定着村に元患者らを集約して『管理』をしやすくする狙いもあったのだろう。一方で朴元大統領夫妻は定着村を視察したり、薬や種豚を贈ったり、元患者らを大事にする姿勢を示してもいた」

現在は橋で韓国本土度とつながっている小鹿島。かつてはハンセン病患者を隔離するための孤島だった(「写真で見る小鹿島100年 ハンセン病、そして人、百年の省察」から)

デマ、暴行…定着村住民の証言

 -取材で何人もの定着村の住民から「近隣住民の差別にさいなまれた」という証言を聞いた。

 「人里離れた定着村で暮らすしかなかった背景には、周囲の根深い差別意識があった。70年代には、定着村近くの地域で『人間を食べるハンセン病患者がいる』とのデマが広がり、住民約60人の抗議を受けて出動した警察官が元患者に暴行を加える事件などが起きている」

 「元患者の子どもたちの小中学校入学に反対する抗議活動も各地で起きた。十分な教育を受けられなければ就職は難しく、貧困が次世代に連鎖する。社会における差別意識は以前に比べて薄まったが、現在進行形の人権問題と言えるだろう」

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