東日本大震災の津波で職員111人が犠牲となった岩手県陸前高田市で30日、市役所前に設置された職員慰霊碑と名前を記した刻銘碑の建立式があった。職員の「生きた証し」を前に家族や市職員は、二度と悲劇を繰り返さないと誓い合った。
慰霊碑は全職員でつくる互助組織の市職員厚生会、刻銘碑は亡くなった職員の親や配偶者でつくる「家族の会」がそれぞれ建て、隣同士に置かれた。刻銘碑には同意が得られた93人の名前と年齢を刻んだ。
市の震災検証報告書によると、当時の職員は嘱託、臨時を含め443人。「明確な退避基準が設けられていなかったこと」などから避難誘導中や、避難所だった市民会館、市民体育館にいた時に津波に襲われ、多くの職員が亡くなった。
戸羽太市長は当時を振り返り「職員に強く避難を促すべきではなかったのかとずっと後悔している。改めて心よりおわび申し上げる」と謝罪。その上で「震災を教訓に後世に伝え、二度と犠牲者を出さないよう一丸となって努めることを誓う」と約束した。
「無言の語り部」戒めに
東日本大震災で多くの職員の命が失われた陸前高田市。犠牲となった職員の家族たちは、悲しみに向き合いながら「同じ過ちを繰り返してはいけない」との強い思いを刻銘碑に込めた。
「刻銘碑が何十年、何百年たっても後世への無言の語り部となることを信じてやまない。市は無言の語り部に向き合い、声を心で聞き、これを教訓、戒めとすることを切望する」
家族の会会長の藤野貢(みつぎ)さん(69)=陸前高田市=が刻銘碑の前で語気を強めた。震災で長女紗央里さん=当時(25)=を亡くした。
家族有志は当初、市が設置する市全体の犠牲者の刻銘板に殉職した旨の記載を求めた。だが難色を示され、独自の碑建立に動いた。
今年6月に「家族の会」が正式に発足。地元以外にいる遺族にも連絡し、賛同を呼び掛けた。藤野さんは「全員の名前を残せなかったのは残念だが、生きた証しを形にできた」と安堵(あんど)の表情を見せた。
刻銘碑の裏側には「春の海 散りし命に 声とどけ」「愛(いと)しきあなた達(たち)の輝かしい日々の姿を・・・忘れません」など、遺族それぞれの思いから着想を得た句や文章を刻んだ。
家族の会発足に動いた柏崎美保子さん(70)=大船渡市=は、三女の高木由衣さん=当時(25)=に思いを寄せ「きっと喜んでいると信じている。市民のために職務を全うしたと思うが、尊い命を失ってはいけない」と訴えた。
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