長崎・国見高で監督を務め、03年度大会まで戦後最多6度の選手権Vを飾った小嶺忠敏さん(現長崎総合科学大付監督)が7日午前4時ごろ、長崎県内で亡くなった。76歳。昨年末に開幕した第100回全国高校サッカー選手権でも、長崎総合科学大付が出場していたが、初戦から体調不良でベンチ入りできていなかった。
親しい関係者によると、小嶺さんは数年前から、肝臓など内臓を患い、持病の悪化もあって、闘病を続けていたという。
人生のすべてをささげる熱血指導で、高校サッカー界をけん引。さらに、C大阪で現役引退したFW大久保嘉人氏(39)ら、日本代表選手やJリーガーも育てた。
葬儀日程は未定。
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◆小嶺忠敏(こみね・ただとし)1945年(昭20)6月24日、長崎県南島原市(旧堂崎村)生まれ。島原商でバレーボールからサッカーに転向。大商大を卒業し68年、赴任した島原商高のサッカー部監督に就任。73年度大会から11年連続で選手権に導くなど一時代を築いた。84年に国見高に移ると同校を06年度大会まで21年連続で全国高校サッカー選手権出場に導き、戦後最多の優勝6回を記録。06年3月に国見の校長を定年退職後も、総監督として指揮した。07年1月9日に総監督を辞任、夏の参院選長崎県選挙区に自民党公認で出馬も落選。V・ファーレン長崎社長などを経て、現在は長崎総合科学大教授で、同大付属高サッカー部監督も務める。
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