桐蔭横浜大の選手たちは左腕に巻いた喪章に大切な思いを込めていた。「ミーティングでも、増尾健をいい形で送り出そうということしか話していなかった」。安武亨監督は涙ながらに「よくみんな戦ったので、想いは伝わっているのかなと思います」と声を絞り出した。
増尾健(たけし)さん。この春、大学3年生になったばかりの20歳だった。子供のころからサッカーが大好きな少年だったが、中学2年生の時に骨肉腫(骨に発生するがん)を発症。プレーヤーとしての夢を諦めなければいけなくなった。
ただ手術や転移を繰り返しても、サッカーへの情熱が衰えることはなかったという。大学では分析担当としてチームに帯同。受け入れた安武監督も「誰よりもガツガツしていた」とチームでも一目置かれる存在だったと話す。
そしてとにかく前向きだった。昨年夏ごろには再びがんの転移が見つかり、ほとんど目も見えなくなってしまった。しかしそんな容態でも仲間の試合が心の支えになっていた様子。エースストライカーのFW山田新(4年=川崎U-18)が「療養中もメッセージをくれたりしていた」と明かしたように、復帰の時を信じて、自宅で分析の仕事を続けていた。
実は今春、体調次第で練習場に顔を出せるまでになっていた。久々の仲間との再会。また一緒にやれるんだ――。増尾さんがみせた笑顔に、部員たちはそう信じて疑わなかった。
しかし残酷な現実が待っていた。再度がんの転移が発覚。しかも、もう手の施しようがないほどに悪化していた。4月13日、増尾さんは20歳の若さで天国へと旅立った。
増尾さんの急逝は、監督の口から伝えられたという。しばしの沈黙、溢れるのはやり場のない思いだけだった。16日の試合に気持ちを向けるだけでも難しかったことは容易に想像できる。
特別な試合は完敗に終わった。
ただここで沈む姿を増尾さんに見せるわけにはいかない。山田は「今後も自分たちのことをみてくれていると思うので、健のサッカーへの思いを引き継いでやっていかないといけない」と言葉を噛みしめる。試合の日はよく一緒に話しながら帰っていたというMF高吉正真(4年=川崎U-18)も「健のためにも日本一になりたい」と力強く話した。
(取材・文 児玉幸洋)
●第96回関東大学L特集
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