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Sunday, May 15, 2022

丸い形が「たまらない」 恩師から譲り受けたワーゲン 半世紀近く経ても快走 貴重な「沖5ナンバー」 - 沖縄タイムス

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[okinawa復帰50年]

山城豊さんと長年連れ添ったフォルクスワーゲン・ビートル=11日、那覇市内

山城豊さんと長年連れ添ったフォルクスワーゲン・ビートル=11日、那覇市内

 沖縄県浦添市の山城豊さん(55)が所有する乗用車フォルクスワーゲン・ビートルは本土復帰翌年の1973年に車両登録された。高校時代の恩師から譲り受けた愛車が半世紀近くを経ても元気に走っている。「愛嬌(あいきょう)のある丸い形と空冷エンジンが載った車特有のバタバタという音がたまらない」。36年間連れ添った相棒に今もぞっこんだ。

(浦添西原担当・具志堅学)

 山城さんは宜野湾高校2期生で陸上部に所属していた。顧問だった恩師は、的確な指導で全国大会優勝者を育て上げた名監督。部活を終えると生徒を自宅まで送り届けることもしばしばだった。山城さんは送ってもらうたびに「先生、この車ちょうだい」と軽口をたたいていたという。

 「10万円で買わないか」。山城さんが話を持ちかけられたのは卒業後だった。格安とはいえ10代には大金。その場では返事ができず、帰宅して親と相談し許可を得た。

 翌日、冗談めかして値切ってみた。「先生、9万円だったよね」。恩師は「そうだったか?」と言っただけで商談は成立。その時、恩師はにこにこと笑っていた。

 それから故障しがちなビートルとの格闘が始まった。修理代を浮かそうとして自分でいじって壊し、かえって高くついてしまう失敗を繰り返した。

 後に妻となる容子さん(54)とのデートの最中、エアコンから白い煙が上がり、視界が遮られ慌てたこともある。おかげで基本的な整備の技術を身に付けた。オイル交換もキャブレター調整もお手の物。この15年ほどは大きなトラブルはない。

 復帰当時をしのばせる「沖5」ナンバー車は貴重な存在。県自動車標板協会によると、沖5ナンバーの交付期間は1972年5月~73年の3月までと1年足らずだ。

 4度の板金修理や塗装、5年前にはエンジンを載せ換えた。これまで修理に250万円以上を費やしたが山城さんは「新車を10年で乗り換えるより、はるかに安上がり」と胸を張る。

 電気自動車の普及が進むが「ビートルには他のクラシックカーにはない魅力がある。ガソリン車が認められなくなるまで乗り続けたい」と愛車を見つめた。

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