Q 最近の幕の内弁当は、ご飯が俵形ではなく、平らなものが多いです。本来の幕の内の意味が知られていないのでしょうか。
A 食べやすく、見栄え良く
食文化史研究家の永山久夫さん(90)=東京都練馬区=を訪ね、幕の内弁当の歴史や定番の中身について聞きました。
「起源は、庶民が芝居見物をするようになった江戸時代後期です。幕あい(幕の内)に、観客が食べる弁当として広がりました」
当時の風俗をまとめた事典「守貞漫稿(もりさだまんこう)」では、「幕の内」を、にぎり飯に「こんにゃく・焼き豆腐・芋・蒲鉾(かまぼこ)・卵焼きなどを付け合わせ」たものと紹介。「にぎり飯は、白米を木型に詰めて押して俵形にし、黒ごまを上から振りかけていました」。花街のあった江戸芳町(よしちょう)(今の東京・日本橋周辺)の「萬久(まんきゅう)」という店の弁当がルーツとされます。
江戸時代の川柳に、「幕の内 やざまを抜けた 飯を食ひ」という句が残っています。矢狭間(やざま)とは、矢を射るために、やぐらや城壁などに開けた穴のこと。その穴の形に、にぎり飯を作る木型が似ていることをうたっています。
さて、幕の内弁当のご飯は、なぜ俵形なのでしょうか。「平らに詰めると食べ進むうちにご飯粒があちこちに付きます。俵形は食べやすい上、三角のにぎり飯などと比べて弁当の木箱に美しく入ります」。白いご飯の入った弁当を残し、子どもへの土産として持って帰る人もいました。「俵形なら持ち運びしても崩れにくかったのでしょうね」
値段はどのくらいだったと思いますか?「守貞漫稿」によると、一人前は百文(もん)。現在の価値で二千円ほどです。そばが十六文の時代ですから高価な食事だったことが分かりますね。
定番のおかずは、厚焼き玉子・蒲鉾・里芋のうま煮の三品。「三種の神器」とも呼ばれ、当時はぜいたく品でした。分厚い卵焼き、砂糖で甘く煮付けた里芋、魚の骨を抜いてすりつぶし、手間をかけた蒲鉾は、家庭ではお目にかかれない料理で、「幕あいに食べる弁当は、芝居を見に行く楽しみの一つでした」。
俵形のにぎり飯に黒ごまを振った基本形が崩れ始めたのは、一九五〇〜七〇年代の高度成長期です。弁当作りに省力化やコストカットが求められ、簡素化されました。今は、白米の上部だけが俵形に型押しされ、下部はくっついているものや、白いご飯が平らに詰められただけのものが売られていることもあります。
「弁当の主役のコメをどういう形で食べるかは、一つの文化。伝統的な幕の内弁当の形が崩れているのは非常に残念です」
観光国としての魅力をPRする日本ですが、世界一の長寿を支える食文化も注目されています。永山さんは「小さい空間に栄養と美意識を詰め込んだ坪庭のような幕の内弁当は、日本のシンボリックな食べ物。原点に立ち返ってほしい」と言います。 (今川綾音)
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=次回は7月13日掲載
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