淡路島最高峰の諭鶴羽山(609メートル)で、山頂付近にある諭鶴羽神社(兵庫県南あわじ市灘黒岩)までの道しるべとして、鎌倉時代と室町時代の境目の建武年間(1334~36年)に作られたとされる「町石(ちょういし)」2基を、地元の登山愛好家3人が相次いで発見した。修験僧らが利用した全国的にも古い町石といい、同神社で保管する。(西竹唯太朗)
同神社へは、南側の灘地区から登る「表参道」と、北側の三原方面から登る「裏参道」がある。奥本憲治宮司(60)によると、町石は同神社を起点として表参道に18カ所、裏参道に30カ所、それぞれ約109メートル間隔で置かれていた。
現在、登山道の周辺にある町石は、江戸期に作られた。道の付け替えなどで行方が分からなくなった一部を除き、今もハイカーらが目印にしている。
一方、建武年間のものは裏参道のみにあったとされ、多くが失われた。1923(大正12)年からこれまで7基が見つかっている。
8基目を発見したのは、いずれも南あわじ市の西下光男さん(76)、入口義和さん(75)、岡本美奈子さん(60)。諭鶴羽山に年十数回登り、道中の町石の掃除なども手掛けている。
今年2月、行方が分からない江戸期の町石を探そうと、神社から約900メートル下ったあたりを探していたところ、地中から一部が飛び出した状態の町石があった。写真を撮って奥本宮司に確認し、建武年間の町石と判明した。「変わった形の石だと思って掘り返して驚いた」と岡本さん。入口さんは「そんな貴重なものと思わなかった」という。
五輪塔型で高さ約70センチ、重さ約30キロ。「地」の意味を示す梵字(ぼんじ)が記されている。「八丁」の文字もあり、神社までの距離を示す。翌日、知人の手も借り、同神社まで運んだ。西下さんは「貴重品だと分かったので毛布にくるんで大切に登った分、大変だった」と、明るい表情で振り返る。
さらに3人は今月、9基目を発見した。「十」の文字が刻まれているが、神社から約1・7キロ下った場所にあったことから実際には「十六丁」で、六と丁の部分が欠損した可能性が高いという。奥本宮司は「全国的にもかなり古い町石。見つけてもらえてありがたい」。3人は、「普段登山で世話になっている山。少しでも恩を返せてよかった」と話している。
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