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Monday, October 24, 2022

古代楽器、より良い形で守り継ぐ使命 - 読売新聞オンライン

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 宮内庁正倉院事務所(奈良市)で守り伝えることが「森鴎外からの宿題」とされる宝物がある。「 甘竹簫かんちくのしょう 」と呼ばれる天平時代の管楽器だ。

 18本の竹管が一列に並べられたもので、息を吹き込んで鳴らす。正倉院宝物に詳しい大阪市立美術館の内藤栄館長(61)によると、様々な楽器とオーケストラのように演奏された可能性が高いという。甘竹簫の柔らかな調べが平城宮に響いたに違いない。

 帝室博物館総長だった鴎外が、1920年に指示して甘竹簫の状態を検査する調査がなされたが、修復は後世に託した。宝物に負担をかけずにどう直し、保存していくか。正倉院事務所はこの難題に向き合い、試行錯誤を続けている。

 正倉院には琵琶や尺八、鼓といった18種75点余りの楽器類が伝わる。今年の正倉院展では2点が出展され、17本の竹管からなる「 呉竹笙くれたけのしょう 」は雅楽で美しい和音を奏でたであろう管楽器だ。

 鴎外は、宝物の中でも楽器に興味を抱いた。特に甘竹簫に寄せる思いは特別だったようだ。宮内省(当時)に調査を具申したのも、古代の音律がわかるのではないかと考えたからという。

 これを機に、20年に楽器調査が始まる。検査や測定のほか、実際に音を出して調べた。鴎外は「事故があれば割腹して責任をとるから存分に調査するように」と周囲に語ったといい、覚悟のほどがうかがえる。

 甘竹簫は長い年月を経て幾つかの部分に分離していたが、明治時代の修理で二つの調律用の笛とみなされ、新たに竹管が補われた。鴎外主導の調査では、形状や構造から元々は18本の竹管が並ぶ一つの管楽器であることが判明。だが、当時の技術では修復が難しかったのだろう。「後の判断を待つ」とし、そのまま保管されてきた。

 戦後、新たに部品が見つかり、一つの楽器であることが改めて裏付けられた。修復はされなかったが、いよいよ虫害による傷みが目立つため、正倉院事務所は2018年3月、修復プロジェクトに取りかかった。

 担当した事務所の修補師・永田大輔さん(40)は分解酵素を利用することで、宝物に負担をかけずに明治の修理で竹管の接着に使われた にかわ の除去に成功。竹管を分離し、虫害で損壊の恐れがあった部分を専門家に補強してもらった。

 全ての竹管を接着して元通りにするか否か――。この問題が永田さんを悩ませた。約1年間、同僚と協議を重ねた結果、出した答えは「復元しない」だった。宝物に負担をかけないことを第一に考えた。

 代わりに全ての竹管をそろえて保管できる台の製作が元興寺文化財研究所(奈良市)の技師、岡田一郎さん(46)の協力を得て始まった。宝物を傷つけず安定して置けるよう、3次元計測器で竹管を並べた状態で形状を測り、そのデータを基に きり 製の台を作る計画だ。

 近い将来の正倉院展で、台に載せて展示する構想がある。原形に近い甘竹簫を鑑賞できる日も遠くない。

 永田さんは「鴎外の宿題に、私たちなりに最善を尽くし、答えを出した。後世の人たちが、その時に必要な処置を考えてくれるはず」と話す。

 鴎外が始めた楽器調査は戦後、全宝物を対象にした「特別調査」として今も続く。専門家らが毎秋、皮革、紙、布といったジャンルごとに宝物を科学的に調べる。

 正倉院事務所は調査という光で宝物を照らし、その価値を伝えている。飯田剛彦所長(54)は「歴代天皇の勅封による管理のもと、たゆまぬ努力によって保存されてきた宝物を、私たちがより良い形でつないでいかなければならない」と語る。

 〈現実の車たちまち我を て夢の都をはためき出でぬ〉

 正倉院宝物の 曝涼ばくりょう (虫干し)のため毎秋、奈良に滞在した鴎外は出張を終え、汽車でたつ時の名残惜しさを詠んだ。文豪が守り継ぐことを願った宝物は、人々を「夢の都」へといざない続けるだろう。(この連載は南部さやかが担当しました)


奈良国立博物館(奈良市登大路町)
10月29日(土)~11月14日(月) ※会期中無休

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