ユーモラスな表情とともに多くの謎を秘める縄文時代の土製人形(ひとがた)「土偶」。群馬県東吾妻町でも顔がハート形の土偶が出土し、1954(昭和29)年、東京・上野の国立博物館に寄託された。制作の起源は4500年ほど前の縄文時代後期とみられるが、独創的で極端にデフォルメされた造形美は不思議な魅力を放つ。何がいまも現代人の心をつかむのか――。
今年春、JR吾妻線の群馬原町駅近くに開業した「つきのき商店」。ハート形土偶をデザインしたバッグやTシャツなどをそろえているほか、ハート形土偶を粘土で作るワークショップも開いている。
大阪府出身で、地域おこし協力隊員として町おこしを手伝っていたイラストレーター田中静さん(29)が開いた。
「目の表情などすごく可愛くて胸がキュンとします。どんな人がどんな思いで作ったんだろうと想像を膨らませるのも楽しい」
土偶は道路工事中に見つかった。高さ30・5センチ。見つかった時期は①昭和16年説②昭和20年説など諸説ある。当時は話題にすらならなかったが、戦後、考古学の専門誌に紹介されて日の目を見ることになり、所有する個人から国立博物館に寄託された。
「シンプルな曲線のみでデザインされた体つきが縄文人の美意識を映し出している」。そう語るのは、ハート形土偶に関する論考を発表した考古学者・能登健さん(76)=前橋市=だ。
能登さんは、胸についた小さな乳房から土偶は女性とみており、妊娠線と思われる縦の線にも注目した。豊穣(ほうじょう)への願い、病気やけがの治癒、生命誕生の願い……。「生存率が極めて低い縄文時代だっただけに、祈るような思いをこめて土偶を制作したにちがいない」
ハート形土偶は、国の指定重要文化財として日本史の教科書にも登場し、海外にも紹介された。大阪万博の際、芸術家の故・岡本太郎が制作した「太陽の塔」にも影響を与えたといわれ、90円切手のデザインになったこともある。
極端なまでにくびれた胴体に大地を踏みしめるような両脚。実際にこの土偶を粘土で作ってみると、均整のとれた形に仕上げるのは大変難しいという。
それにしてもどうしてこのような顔になったのだろう。能登さんは言う。
「両手の指を自分の鼻にあて、その指先を眉毛まで移動させてください。次に眉をたどり眉尻まで移動する。そして指先を一気に口まで下ろして下さい」
「指先の軌跡はハート形を描きます。この土偶は見事なまでに人間を抽象化しているのです」
能登さんによると、ハート形土偶について考えるうえで参考になるのがスイスの画家パウル・クレー。一切の虚飾を排し、原始的な造形にこだわったクレーが描いた抽象画もハート形土偶によく似ている。
さまざまな情報が飛び交い、日々慌ただしい現代社会。シンプルだからこそ、ハート形土偶は現代人を魅了するのかもしれない。(編集委員・小泉信一)
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〈土偶〉 縄文時代に土で作られた人形。女性をかたどったものが多く、東日本に集中している。当時の人々はあらゆる自然物や自然現象に霊威を認め、呪術によって災いを避け、豊かな収穫を祈ったとされる。
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