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Thursday, March 5, 2020

最後の石炭列車 惜しまれつつ幕おろす 色形そろった黒い貨車「ホキ10000形」廃棄へ:社会(TOKYO Web) - 東京新聞

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 東京湾の川崎港から埼玉県熊谷市まで、首都圏を縦断して走る国内最後の石炭貨物列車が、2月25〜26日の運行を最後に廃止された。その姿を惜しむ鉄道ファンも少なくない。黒い貨車の列をディーゼル機関車や電気機関車がけん引する雄姿を、紙上で再現する。

◆川崎から熊谷へ 20両編成の黒い貨車

 廃止を二週間後に控えた二月十二日。川崎市川崎区の運河にかかる橋で待っていると、来た、来た。先頭は上半分が朱色のディーゼル機関車。黒い貨車を二十両従えている。ガタン、ゴトンとそのまま擬音語になりそうな音を立てて渡る。

 すかさずシャッターを切った杉並区の会社員白鳥洋一さん(59)は「なくなると聞いたので撮影しようと思って。CO2の排出削減のためにも、鉄道輸送を続けてほしかったけど…」と残念そう。

◆太平洋セメント工場へ 輸入石炭運んで40年

 この列車は、オーストラリアなどから輸入した石炭を、埼玉県の太平洋セメント熊谷工場へ運んだ。臨海部の工業地帯を走るJR鶴見線の終点・扇町駅から、さらに海側に延びる線路の先で石炭を積み込む。一両当たり三十五トン入るので、一編成二十両で七百トンにもなる。

 午後零時五分に扇町駅を出発。けん引役は途中でディーゼル機関車から電気機関車に代わり、JR武蔵野線や高崎線を経て、午後六時四十分に熊谷貨物ターミナル駅に到着。一晩休み、十両ずつの二編成に分割され、秩父鉄道の線路を通って工場に向かう。

(2)EF65形電気機関車に引かれ、武蔵野線を走る石炭貨物列車=府中市で

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 太平洋セメント(港区)によると、運行は一九八〇年六月に始まった。オイルショックの影響で、セメント製造に使う燃料を重油から石炭に変えたためという。それから四十年近く。貨物列車を廃止した理由について、同社は「事業環境等を総合的に判断し、トラック輸送に切り替えることにした」と説明するにとどめている。

◆「国内最後の石炭貨物の廃止、趣味的には残念」

 鉄道総合情報誌「Rail Magazine」の松沼猛編集長(51)は「石炭貨物列車と言えば、北海道をはじめ全国の炭鉱から港に石炭を運ぶ列車が一般的だった。こうした列車は炭鉱の閉山とともに徐々になくなり、昨年、北海道で最後の列車が廃止された」と解説する。そして輸入炭を内陸に運ぶ太平洋セメントの列車が、国内最後の石炭貨物列車として残されたという。

(3)ホキ10000形の貨車に積み込まれた石炭=国分寺市で

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 松沼さんは「石炭や石油などを運ぶ専用貨物列車は、色と形のそろった貨車が一編成になっているため、見た目がきれい。黒い貨車が続く石炭列車が見られなくなるのは、趣味的には残念」と惜しむ。

(4)秩父鉄道三ケ尻線を走り、太平洋セメント熊谷工場へ向かう=埼玉県熊谷市で

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◆貨車「ホキ10000形」 列車廃止で廃棄の運命

 その黒い貨車「ホキ10000形」は、百四十五両あった。石炭を積んだ貨車は熊谷工場に止められ、石炭を降ろし終えた貨車で二十両編成を作り、熊谷貨物ターミナル駅に移動する。そして翌朝に同駅を出発。午前十一時十六分、扇町駅に着く。

石炭35トンを積める貨車「ホキ10000形」

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 そこには石炭の積み込みを終えた二十両編成が用意され、からっぽの列車を引っ張ってきた機関車を付け替えてまた工場に向かう。こんなローテーションを組むため、多くの貨車が必要だったらしい。こうして活躍したホキ10000形だが、列車の廃止とともに廃棄される運命という。

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