ラグビーの第57回全国大学選手権決勝で、初優勝を目指す天理大は11日、早稲田大と対戦し、前半を29―7でリードした。関西勢の優勝となれば、1984年度の同志社大以来36季ぶり史上2校目となる。8月に部員62人が新型コロナウイルスに集団感染し、約1カ月活動を休止したものの、3度目の決勝にたどり着いた天理大。そこには、難局でも崩れない小松節夫監督(57)の独自の育成理論があった。【長宗拓弥】
3部転落からのスタート
大一番を前に、小松監督は激動の1カ月に思いを巡らせていた。「(感染者が)次から次へと。保健所や病院とのやりとり、寮をどうするのか……。部への中傷もあったと聞いているが、ニュースを見る余裕もなかったというのが正直なところです。対処することが多く、忙しくて」
最初の部員の感染確認は8月12日。PCR検査では次々と陽性判定が出て活動を自粛した。約170人の全部員が暮らす寮に住み込み「寮長」を担う小松監督は収束に奔走した。陰性だった部員の隔離先や、寮の部屋割りの見直し、食事の取り方。専門家の意見を聞き、感染対策を施した。
集団感染の影響はラグビー部以外の学生にも及んだ。アルバイト先からの出勤停止や教育実習先の学校に受け入れを拒否される事態に発展。「私たちはクラスターを起こし、迷惑や心配をおかけした。天理市や大学が受け止めてくれ、いろんな人の協力のおかげで活動を再開できました」と感謝の言葉を繰り返す。試練を乗り越え、関西大学Aリーグで5連覇を達成した。
天理大ラグビー部の創部は1925年(大正14年)。関西では全国優勝4回の同志社大と覇権を争う時期もあったが、91年にBリーグ(2部)降格。翌年にはCリーグ(3部)に転落した。再建を託されたのは小松監督。93年にコーチとなり、95年に監督へ昇格した。
小松監督は天理高、同志社大、日新製鋼で主にCTBとしてプレーした。天理高時代には高校日本代表に選出。「ミスターラグビー」と…
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